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来ともうすなり。これを尽十方無碍光如来となづけたてまつるなり。「この如来を方便法身とはもうすなり。方便ともうすは、かたちをあらわし、御名をしめして衆生にしらしめたまうをもうすなり。すなわち阿弥陀仏なり。この如来は光明なり。光明は智慧なり。智慧はひかりのかたちなり。智慧またかたちなければ、不可思議光仏ともうすなり。この如来、十方微塵世界にみちみちたまえるがゆえに、無辺光仏ともうす。しかれば、世親菩薩は「尽十方無碍光如来」(論)となづけたてまつりたまえり。」(一念多念文意)さればこの如来に南無し帰命したてまつれば、摂取不捨のゆえに真実報土の往生をとぐべきものなり。
 「法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所 覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪」というは、「世自在王仏」ともうすは、弥陀如来のむかしの師匠の御ことなり。しかればこの仏のみもとにして、二百一十億の諸仏の浄土のなかの善悪を覩見しましまして、そのなかにわろきをばえらびすて、よきをばえらびとりたまいて、わが浄土としましますといえるこころなり。
 「建立無上殊勝願 超発希有大弘誓」というは、諸仏浄土をえらびとりて、西方極楽の殊勝の浄土を建立したまうがゆえに、超世希有の大願ともなづけ、また横超の大誓願とももうすなり。
 「五劫思惟之摂受」というは、まず一劫というは、たかさ四十里、ひろさ四十里のいしを、天人、羽衣をもって、そのおもさ、ぜにのひとつの四つを字一つのけて、三つの字のおもさなるをきて、三年に一度くだりて、この石をなでつくせるを一劫というなり。これを五つなでつくすほど、阿弥陀