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仏の、むかし法蔵比丘ともうせしとき、思惟してやすきみのりをあらわして、十悪五逆の罪人・五障三従の女人をも、もらさずみちびきて、浄土に往生せしめんとちかいましましけり。
 「重誓名声聞十方」というは、弥陀如来、仏道をなりましまさんに、名声十方にきこえざるところなしといわば、われ正覚をならじとちかいましますといえるこころなり。
 「普放無量無辺光」というより「超日月光」というにいたるまでは、これ十二光仏の一々の御名なり。「無量光仏」というは、利益の長遠なることをあらわす。過現未来にわたりてその限量なし。かずとしてさらにひとしきかずなきがゆえなり。「無辺光仏」というは、照用の広大なる徳をあらわす。十方世界をつくしてさらに辺際なし。縁としててらさずということなきがゆえなり。「無碍光仏」というは、神光の障碍なき相をあらわす。人法としてよくさうることなきがゆえなり。碍において内外の二障あり。外障というは山河大地・雲霧煙霞等なり。内障というは、貪瞋痴慢等なり。「光雲無碍如虚空」(讃阿弥陀仏偈)の徳あれば、よろずの外障にさえられず、「諸邪業繫無能碍者」(定善義)のちからあれば、もろもろの内障にさえられず。かるがゆえに天親菩薩は、「尽十方無碍光如来」(論)とほめたまえり。「無対光仏」というは、ひかりとしてこれに相対すべきものなし。もろもろの菩薩のおよぶところにあらざるがゆえなり。「炎王光仏」というは、または「光炎王仏」と号す。光明自在にして、無上なるがゆえなり。『大経』に「猶如火王 焼滅一切煩悩薪故」ととけるは、このひかりの徳を嘆ずるなり。火をもってたきぎをやくに、つくさずということなきが