巻次
第一帖
928頁
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こそはそうらえ。命のあらんかぎりは、われらはいまのごとくにてあるべく候う。よろずにつけて、みなみなの心中こそ不足に存じそうらえ。明日もしらぬいのちにてこそ候うに、なにごとをもうすも、いのちおわりそうらわば、いたずらごとにてあるべく候う。いのちのうちに、不審もとくとくはれられそうらわでは、さだめて後悔のみにてそうらわんずるぞ。御こころえあるべく候う。あなかしこ、あなかしこ。

この障子のそなたの人々のかたへまいらせ候う。のちの年にとりいだして御覧候え。

文明五年卯月二十五日、之を書く。 

(七) 去んぬる文明第四の暦、弥生中半のころかとおぼえはんべりしに、さもありぬらんとみえつる女姓一、二人、おとこなんどあい具したるひとびと、この山のことを沙汰しもうしけるは、「そもそもこのごろ吉崎の山上に、一宇の坊舎をたてられて、言語道断おもしろき在所かなともうし候う。なかにもことに加賀・越中・能登・越後・信濃・出羽・奥州七か国より、かの門下中、この当山へ、道俗男女参詣をいたし群集せしむるよし、そのきこえかくれなし。これ末代の不思議なり。ただごとともおぼえはんべらず。さりながら、かの門徒の面々には、さても念仏法門をば、なにとすすめられ候うやらん。とりわけ信心ということをむねとおしえられ候うよし、ひとびともうし候うなるは、いかようなることにて候うやらん。くわしくききまいらせて、われらもこの罪業深重のあさましき女人の身をもちてそうらえば、その信心とやらんをききわけまいらせて、往生をねがいた