巻次
第一帖
927頁
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えたるひとこれなし。かくのごとくのやからは、いかでか報土の往生をば、たやすくとぐべきや。一大事というはこれなり。さいわいに五里・十里の遠路をしのぎ、この雪のうちに参詣のこころざしは、いかようにこころえられたる心中ぞや。千万こころもとなき次第なり。所詮已前はいかようの心中にてありというとも、これよりのちは心中にこころえおかるべき次第を、くわしくもうすべし。よくよく耳をそばだてて聴聞あるべし。そのゆえは、他力の信心ということを、しかと心中にたくわえられ候いて、そのうえには、仏恩報謝のためには、行住座臥に念仏をもうさるべきばかりなり。このこころえにてあるならば、このたびの往生は一定なり。このうれしさのあまりには、師匠坊主の在所へもあゆみをはこび、こころざしをもいたすべきものなり。これすなわち、当流の義をよくこころえたる、信心のひととはもうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

文明五年二月八日

(六) 抑も、当年の夏このごろは、なにとやらん、ことのほか睡眠におかされてねぶたく候うは、いかんと案じ候えば、不審もなく往生の死期もちかづくかとおぼえ候う。まことにもってあじきなく、名残おしくこそ候え。さりながら、今日までも、往生の期もいまやきたらんと、由断なくそのかまえは候う。それにつけても、この在所において、已後までも信心決定するひとの退転なきようにもそうらえかしと、念願のみ昼夜不断におもうばかりなり。この分にては、往生つかまつり候うとも、いまは子細なく候うべきに、それにつけても面々の心中も、ことのほか由断どもにて