巻次
第二帖
944頁
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るがゆえに、阿弥陀一仏に帰したてまつれば、すなわち諸仏・菩薩に帰するいわれあるがゆえに、阿弥陀一体のうちに諸仏・菩薩はみなことごとくこもれるなり。
 一 開山親鸞聖人のすすめましますところの、弥陀如来の他力真実信心というは、もろもろの雑行をすてて、専修専念・一向一心に弥陀に帰命するをもって、本願を信楽する体とす。されば先達よりうけたまわりつたえしがごとく、弥陀如来の真実信心をば、いくたびも他力よりさずけらるるところの仏智の不思議なりとこころえて、一念をもっては往生治定の時剋とさだめて、そのときのいのちのぶれば、自然と多念におよぶ道理なり。これによりて、平生のとき一念往生治定のうえの、仏恩報尽の多念の称名とならうところなり。しかれば祖師聖人御相伝一流の肝要は、ただこの信心ひとつにかぎれり。これをしらざるをもって他門とし、これをしれるをもって真宗のしるしとす。そのほかかならずしも外相において、当流念仏者のすがたを、他人に対してあらわすべからず。これをもって、真宗の信心をえたる行者のふるまいの正本となづくべきところ、件の如し。

文明六年 甲午 正月十一日、之を書く。

(四) 夫れ、弥陀如来の超世の本願ともうすは、末代濁世の造悪不善の、われらごときの凡夫のためにおこしたまえる無上の誓願なるがゆえなり。しかれば、これをなにとようにこころをももち、なにとように弥陀を信じて、かの浄土へは往生すべきやらん、さらにその分別なし。くわしくこれをおしえたまうべし。