巻次 第二帖 | 第三帖 959頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 文明六、七月九日、之を書く。第三帖(一) 抑も、当流において、その名ばかりをかけんともがらも、またもとより門徒たらんひとも、安心のとおりをよくこころえずは、あいかまえて、今日よりして他力の大信心のおもむきを、ねんごろにひとにあいたずねて、報土往生を決定せしむべきなり。夫れ、一流の安心をとるというも、なにのようもなく、ただひとすじに阿弥陀如来をふかくたのみたてまつるばかりなり。しかれども、この阿弥陀仏ともうすは、いかようなるほとけぞ、また、いかようなる機の衆生をすくいたまうぞというに、三世の諸仏にすてられたる、あさましきわれら凡夫・女人を、われひとりすくわんという大願をおこしたまいて、五劫があいだこれを思惟し、永劫があいだこれを修行して、それ、衆生のつみにおいては、いかなる十悪五逆・謗法闡提のともがらなりというとも、すくわんとちかいましまして、すでに諸仏の悲願にこえすぐれたまいて、その願成就して阿弥陀如来とはならせたまえるを、すなわち阿弥陀仏とはもうすなり。これによりて、このほとけをばなにとたのみ、なにとこころをももちてか、たすけたまうべきぞというに、それ、わが身のつみのふかきことをばうちおきて、ただかの阿弥陀仏を、ふたごころなく一向にたのみまいらせて、一念もうたがうこころなくば、かなら 紙面画像を印刷 前のページ p959 次のページ 初版p795・796へ このページの先頭に戻る