巻次 第三帖 971頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 すなり。これすなわち一念帰命の他力信心を獲得する平生業成の念仏行者といえるは、このことなりとしるべし。かくのごとくこころえたらんひとびとは、いよいよ弥陀如来の御恩徳の深遠なることを信知して、行住座臥に称名念仏すべし。これすなわち「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」(正信偈)といえる文のこころなり。あなかしこ、あなかしこ。文明七、二月二十五日(九) 抑も、今日は鸞聖人の御明日として、かならず報恩謝徳のこころざしをはこばざる人、これすくなし。しかれども、かの諸人のうえにおいて、あいこころうべきおもむきは、もし本願他力の真実信心を獲得せざらん未安心のともがらは、今日にかぎりてあながちに出仕をいたし、この講中の座敷をふさぐをもって真宗の肝要とばかりおもわんひとは、いかでかわが聖人の御意にはあいかないがたし。しかりといえども、わが在所にありて、報謝のいとなみをもはこばざらんひとは、不請にも出仕をいたしてもよろしかるべきか。されば、毎月二十八日ごとにかならず出仕をいたさんとおもわんともがらにおいては、あいかまえて、日ごろの信心のとおり決定せざらん未安心のひとも、すみやかに本願真実の他力信心をとりて、わが身の今度の報土往生を決定せしめんこそ、まことに聖人報恩謝徳の懇志に、あいかなうべけれ。また自身の極楽往生の一途も、治定しおわりぬべき道理なり。これすなわちまことに「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報仏恩」(往生礼讃)という釈文のこころにも符合せるものなり。それ、聖人御入滅は、すでに一百余歳を 紙面画像を印刷 前のページ p971 次のページ 初版p805・806へ このページの先頭に戻る