巻次
第三帖
972頁
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経といえども、かたじけなくも目前において真影を拝したてまつる。また徳音は、はるかに無常のかぜにへだつといえども、まのあたり実語を相承血脈して、あきらかに耳のそこにのこして、一流の他力真実の信心いまにたえせざるものなり。これによりて、いまこの時節にいたりて、本願真実の信心を獲得せしむるひとなくば、まことに宿善のもよおしにあずからぬ身とおもうべし。もし宿善開発の機にてもわれらなくば、むなしく今度の往生は不定なるべきこと、なげきてもなおかなしむべきは、ただこの一事なり。しかるにいま、本願の一道にあいがたくして、まれに無上の本願にあうことをえたり。まことによろこびのなかのよろこび、なにごとかこれにしかん。とうとむべし、信ずべし。これによりて、年月日ごろ、わがこころのわろき迷心をひるがえして、たちまちに本願一実の他力信心にもとづかんひとは、真実に聖人の御意にあいかなうべし。これしかしながら、今日聖人の報恩謝徳の御こころざしにもあいそなわりつべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

文明七年五月二十八日、之を書く。

(一〇) 抑も、当流門徒中において、この六か条の篇目のむねをよく存知して、仏法を内心にふかく信じて、外相にそのいろをみせぬようにふるまうべし。しかれば、このごろ当流念仏者において、わざと一流のすがたを他宗に対してこれをあらわすこと、もってのほかのあやまりなり。所詮向後、この題目の次第をまもりて、仏法をば修行すべし。もしこのむねをそむかんともがらは、ながく門徒中の一列たるべからざるものなり。