巻次 第三帖 973頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 一 神社をかろしむることあるべからず。一 諸仏・菩薩ならびに諸堂をかろしむべからず。一 諸宗・諸法を誹謗すべからず。一 守護・地頭を疎略にすべからず。一 国の仏法の次第、非義たるあいだ、正義におもむくべき事。一 当流にたつるところの他力信心をば、内心にふかく決定すべし。 一つには、一切の神明ともうすは、本地は仏・菩薩の変化にてましませども、この界の衆生をみるに、仏・菩薩にはすこしちかづきにくくおもうあいだ、神明の方便にかりに神とあらわれて、衆生に縁をむすびて、そのちからをもってたよりとして、ついに仏法にすすめいれんがためなり。これすなわち、「和光同塵は結縁のはじめ、八相成道は利物のおわり」(摩訶止観)といえるは、このこころなり。さればいまの世の衆生、仏法を信じ、念仏をももうさんひとをば、神明はあながちにわが本意とおぼしめすべし。このゆえに、弥陀一仏の悲願に帰すれば、とりわけ神明をあがめず信ぜねども、そのうちにおなじく信ずるこころはこもれるゆえなり。 二つには、諸仏・菩薩ともうすは、神明の本地なれば、いまのときの衆生は、阿弥陀如来を信じ念仏もうせば、一切の諸仏・菩薩は、わが本師阿弥陀如来を信ずるに、そのいわれあるによりて、わが本懐とおぼしめすがゆえに、別して諸仏をとりわき信ぜねども、阿弥陀仏一仏を信じたてまつるう 紙面画像を印刷 前のページ p973 次のページ 初版p807・808へ このページの先頭に戻る