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第三帖 | 第四帖
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しき一生造悪のつみふかき身ながら、ひとたび一念帰命の信心をおこせば、仏の願力によりて、たやすくたすけたまえる弥陀如来の、不思議にまします超世の本願の強縁のありがたさよと、ふかくおもいたてまつりて、その御恩報謝のためには、ねてもさめても、ただ念仏ばかりをとなえて、かの弥陀如来の仏恩を報じたてまつるべきばかりなり。このうえには、後生のために、なにをしりても所用なきところに、ちかごろもってのほか、みな人のなにの不足ありてか、相伝もなき、しらぬくせ法門をいいて、人をもまどわし、また無上の法流をもけがさんこと、まことにもってあさましき次第なり。よくよくおもいはからうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

文明八年七月十八日


第四帖


(一) 夫れ、真宗念仏行者のなかにおいて、法義についてそのこころえなき次第これおおし。しかるあいだ、大概そのおもむきをあらわしおわりぬ。所詮自今已後は、同心の行者は、このことばをもって本とすべし。これについてふたつのこころあり。一つには、自身の往生すべき安心をまず治定すべし。二つには、ひとを勧化せんに、宿善・無宿善のふたつを分別して勧化をいたすべし。この道理を心中に決定してたもつべし。しかればわが往生の一段においては、内心にふかく一念