巻次
第三帖
978頁
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いい、「若聞此経 信楽受持 難中之難 無過斯難」ともいえり。また善導は、「過去已曾修習此法 今得重聞則生歓喜」(定善義)とも釈せり。いずれの経釈によるとも、すでに宿善にかぎれりとみえたり。しかれば、宿善の機をまもりて、当流の法をばあたうべしときこえたり。このおもむきをくわしく存知して、ひとをば勧化すべし。ことに、まず王法をもって本とし、仁義をさきとして、世間通途の義に順じて、当流安心をば内心にふかくたくわえて、外相に法流のすがたを他宗他家にみえぬようにふるまうべし。このこころをもって、当流真実の正義を、よく存知せしめたるひととはなづくべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

文明八年正月二十七日

(一三) 夫れ、当流門徒中において、すでに安心決定せしめたらん人の身のうえにも、また未決定の人の安心をとらんとおもわん人も、こころうべき次第は、まずほかには王法を本とし、諸神・諸仏・菩薩をかろしめず、また諸宗・諸法を謗ぜず、国ところにあらば、守護・地頭にむきては疎略なく、かぎりある年貢所当をつぶさに沙汰をいたし、そのほか仁義をもって本とし、また後生のためには、内心に阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、自余の雑行雑善にこころをばとどめずして、一念も疑心なく信じまいらせば、かならず真実の極楽浄土に往生すべし。このこころえのとおりをもって、すなわち弥陀如来の他力の信心をえたる念仏行者のすがたとはいうべし。かくのごとく念仏の信心をとりてのうえに、なおおもうべきようは、さてもかかるわれらごときの、あさま