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第四帖
994頁
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昨日今日までも、その信心のおもむき不同なるあいだ、所詮なきものか。しかりといえども、当年の報恩講中にかぎりて、不信心のともがら、今月報恩講のうちに、早速に真実信心を獲得なくば、年々を経というとも、同篇たるべきようにみえたり。しかるあいだ愚老が年齢、すでに七旬にあまりて、来年の報恩講をも期しがたき身なるあいだ、各々に真実に決定信をえしめん人あらば、一つは聖人今月の報謝のため、一つは愚老がこの七、八か年のあいだの本懐とも、おもいはんべるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

文明十七年十一月二十三日

(九) 当時このごろ、ことのほかに疫癘とて、ひと死去す。これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生まれはじめしよりしてさだまれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。しかれども、いまの時分にあたりて死去するときは、さもありぬべきように、みなひとおもえり。これまことに道理ぞかし。このゆえに、阿弥陀如来のおおせられけるようは、「末代の凡夫、罪業のわれらたらんもの、つみはいかほどふかくとも、われを一心にたのまん衆生をば、かならずすくうべし」とおおせられたり。かかる時は、いよいよ阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、極楽に往生すべしとおもいとりて、一向一心に弥陀をとうときことと、うたがうこころ、つゆちりほどももつまじきことなり。かくのごとくこころえのうえには、ねてもさめても、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ともうすは、かようにやすくたすけまします、御ありがたさ、御うれしさを、もうす御礼のこころなり。