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(77)一 蓮如上人、法敬に対せられ、仰せられ候う。「今、此の弥陀をたのめということを、御教え候う人をしりたるか」と仰せられ候う。順誓(法敬坊)、「存ぜず」と申され候う。「今、御おしえ候う人を云うべし。鍛治・番匠などに物をおしうるに、物を出だすものなり。一大事のことなり。何ぞものをまいらせよ。いうべき」と、仰せられ候う時、順誓、「なかなか、何たるものなりとも進上いたすべき」と申され候う。蓮如上人、仰せられ候う。「此の事をおしうる人は、阿弥陀如来にて候う。阿弥陀如来の、我をたのめとの御おしえにて候う」由、仰せられ候う。
(78)一 法敬坊、蓮如上人へ申され候う。「あそばされ候う御名号、焼け申し候うが、六体の仏になり申し候う。不思議なる事」と申され候えば、前々住上人(蓮如)、その時、仰せられ候う。「それは不思議にてもなきなり。仏の、仏に御なり候うは、不思議にてもなく候う。悪凡夫の、弥陀をたのむ一念にて仏になるこそ不思議よ」と仰せられ候うなり。
(79)一 「朝夕、如来・聖人の御用にて候う間、冥加の方をふかく存ずべき」よし、折々、前々住上人、仰せられ候う由に候う。
(80)一 前々住上人、仰せられ候う。「「かむとはしるとも、呑むとしらすな」と云うことがあるぞ。妻子を帯し、魚鳥を服し、罪障の身なりといいて、さのみ思いのままにはあるまじき」由、仰せられ候う。
(81)一 「仏法には無我」と仰せられ候う。「われ、と思うことは、いささかあるまじきことなり。わ