巻次 - 1043頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 れはわろしとおもう人なし。これ聖人の御罰なり」と御詞候う。他力の御すすめにて候う。ゆめゆめ、「われ」ということはあるまじく候う。「無我」と云うこと、前住上人(実如)も、度々仰せられ候う。(82)一 「日比しれるところを、善知識にあいてとえば、徳分あるなり。しれるところをとえば徳分あるといえるが、殊勝のことばなり」と、蓮如上人、仰せられ候う。「知らざる処をとわば、いかほど殊勝なることあるべき」と仰せられ候う。(83)一 「聴聞を申すも、大略、我がためとおもわず、ややもすれば、法文の一をもききおぼえて、人にうりごころある」との仰せごとにて候う。(84)一 一心にたのみ奉る機は、如来の、よくしろしめすなり。弥陀の、ただしろしめすように、心中をもつべし。冥加をおそろしく存ずべきことにて候うとの義に候う。(85)一 前々住上人、仰せられ候う。「前々より御相続の義は、別義なきなり。ただ弥陀たのむ一念の義よりほか、別義なく候う。これよりほか、御存知なく候う。いかようの御誓言もあるべき」由、仰せられ候う。(86)一 同じく仰せられ候う。「凡夫往生、ただたのむ一念にて仏にならぬことあらば、いかなる御誓言をも仰せらるべき。証拠は南無阿弥陀仏なり。十方の諸仏の証人候う。」(87)一 蓮如上人、仰せられ候う。「物をいえいえ」と仰せられ候う。「物をいわぬ者は、おそろし 紙面画像を印刷 前のページ p1043 次のページ 初版p870・871へ このページの先頭に戻る