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き」と仰せられ候う。「信・不信ともに、ただ、物をいえ」と仰せられ候う。「物を申せば、心底もきこえ、又、人にもなおさるるなり。ただ、物を申せ」と仰せられ候う由候う。
(88)一 蓮如上人、仰せられ候う。「仏法は、つとめのふしはかせもしらで、よくすると思うなり。つとめのふし、わろき」よしを仰せられ、慶聞坊をいつもとりつめ、仰せられつる由に候う。それに付きて、蓮如上人、仰せられ候う。「一向にわろき人は、ちがいなどという事もなし。ただわろきまでなり。わろしとも仰せごとなきなり。法義をも心にかけ、ちとこころえもある上のちがいが、ことのほかの違いなり」と仰せられ候う由に候う。
(89)一 人の、こころえのとおり、申されけるに、「わがこころは、ただ、かごに水を入れ候うように、仏法の御座敷にては、ありがたくもとうとくも存じ候うが、やがて、もとの心中になされ候う」と申され候う所に、前々住上人(蓮如)、仰せられ候う。「そのかごを水につけよ」と。我が身をば法にひてておくべきよし、仰せられ候う。万事、信なきによりてわろきなり。善知識の、わろきと仰せらるるは、信のなきことをくせごとと仰せられ候う事に候う。
(90)一 聖教を拝み申すも、うかうかとおがみ申すは、その詮なし。蓮如上人は、「ただ聖教をば、くれ、くれ」と仰せられ候う。又、「百反これをみれば、義理おのずからうる」と申す事もあれば、こころをとどむべきことなり。聖教は句面のごとくこころうべし。その上にて、師伝・口業はあるべきなり。私にして会釈する、しかるべからざる事なり。