巻次 - 1049頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 (113)一 同じく仰せに、「われは、人の機をかがみ、人にしたがいて、仏法を御聞かせ候う」由、仰せられ候う。いかにも、人のすきたることなど申させられ、「うれしや」と存じ候う処に、又、仏法の事を仰せられ候う。いろいろ御方便にて、人に法を御きかせ候いつる由に候う。(114)一 前々住上人、仰せられ候う。「人の、仏法を信じて、われによろこばせんと思えり。それはわろし。信をとれば、自心の勝徳なり。さりながら、信をとらば、恩にも御うけあるべき」と仰せられ候う。又、「ききたくもなき事なりとも、まことに信をとるべきならば、きこしめすべき」由、仰せられ候う。(115)一 同じく仰せに、「まことに、一人なりとも信をとるべきならば、身を捨てよ。それはすたらぬ」と仰せられ候う。(116)一 あるとき、仰せられ候う。「御門徒の、心得をなおすときこしめして、老の皺をのべ候う」と仰せられ候う。(117)一 ある御門徒衆に御尋ね候う。「そなたの坊主、心得のなおりたるを、うれしく存ずるか」と御尋ね候えば、申され候う。「寔に、心得をなおされ、法義を心にかけられ候う。一段、ありがたく、うれしく存じ候う」由、申され候う。そのとき、仰せられ候う。「われはなお、うれしく思うよ」と仰せられ候う。(118)一 おかしき事、能をもさせられ、仏法に退屈仕り候う者の心をもくつろげ、その気をもう 紙面画像を印刷 前のページ p1049 次のページ 初版p876へ このページの先頭に戻る