巻次 - 1056頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 心あるべき」よし、仰せられ候うと云々(153)一 「仏説に、信謗あるべきよし、ときおきたまえり。信ずる者ばかりにて、謗ずる人なくは、ときおきたまうこと、いかがと思うべきに、はや謗ずるものあるうえは、信ぜんにおいては、必ず往生決定」との仰せに候う。(154)一 同行のまえにては、よろこぶなり。これ名聞なり。信のうえは、一人居てよろこぶ法なり。(155)一 「仏法には、世間のひまを闕きてきくべし。世間のひまをあけて、法を聞くべきように思う事、あさましきことなり。仏法には明日と云う事はあるまじき」由の仰せに候う。「たとい大千世界に みてらん火をもすぎゆきて 仏の御名をきくひとは ながく不退にかなうなり」と、『和讃』(讃阿弥陀仏偈和讃)にあそばされ候う。(156)一 法敬、申され候うと云々 「人、より合い、雑談ありしなかばに、ある人、不図、座敷を立たれ候う。上人、「いかに」と仰せければ、「一大事の急用あり」とて、たたれけり。その後、「先日は、いかに不図御立ち候うや」と問いければ、申され候う。「仏法の物語、約束申したる間、あるもあられずして、まかりたち候う」由、申され候う。法義には、かようにぞ心をかけ候うべき事なる」由、申され候う。(157)一 「仏法をあるじとし、世間を客人とせよ」といえり。「仏法のうえより、世間のことは時にしたがい、相はたらくべき事なり」と云々 紙面画像を印刷 前のページ p1056 次のページ 初版p882・883へ このページの先頭に戻る