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(170)一 御膳、まいり候うときには、御合掌ありて、「如来・聖人の御用にて、き、くうよ」と仰せられ候う。
(171)一 人は、あがりあがりて、おちばをしらぬなり。ただつつしみて、不断、そらおそろしきことと、毎事に付きて、心をもつべきの由、仰せられ候う。
(172)一 「往生は一人一人のしのぎなり。一人一人に仏法を信じて後生をたすかることなり。余所ごとのように思うこと、且つはわが身をしらぬ事なり」と、円如、仰せ候いき。
(173)一 大坂殿にて、或人、前々住上人(蓮如)に申され候う。「今朝暁より、老いたる者にて候うが参られ候う。神変なることなる」由、申され候えば、やがて仰せられ候う。「信だにあれば、辛労とはおもわぬなり。信のうえは、仏恩報謝と存じ候えば、苦労とは思わぬなり」と仰せられしと云々 老いたる者は、田上の了宗と云々
(174)一 南殿にて、人々より合い、心中を、何かとあつかい申す所へ、前々住上人、御出で候いて、仰せられ候う。「何事をいうぞ。ただ、何事のあつかいも思いすてて、一心に弥陀をうたがいなくたのむばかりにて、往生は、仏のかたより定めましますぞ。その支証は、南無阿弥陀仏よ。此のうえは、何事をあつかうべきぞ」と仰せられ候う。若し不審などを申すにも、多事を、ただ御一言にて、はらりと、不審はれ候いしと云々
(175)一 前々住上人、「おどろかす かいこそなけれ 村雀 耳なれぬれば なるこにぞのる」 此