巻次
-
1062頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

門はなきなり」と仰せられ候う。『安心決定抄』に云わく、「浄土の法門は、第十八の願を、能く能くこころうるのほかには、なきなり」といえり。然れば、『御文』には、「一心一向に仏たすけたまえと申さん衆生をば、たとい罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくいましますべし。これすなわち第十八の念仏往生の誓願の意なり」と云えり。
(186)一 「信をとらぬによりて、わろきぞ。ただ信をとれ」と仰せられ候う。善知識の、「わろし」と仰せられけるは、信のなきことを、「わろき」と仰せらるるなり。然れば、前々住上人(蓮如)、或人を、「言語道断、わろき」と仰せられ候うところに、その人、申され候う。「何事も、御意のごとくと存じ候う」と申され候えば、仰せられ候う。「ふつとわろきなり。信のなきはわろくはなきか」と仰せられ候うと云々
(187)一 蓮如上人、仰せられ候う。「何たる事をきこしめしても、御心には、ゆめゆめ叶わざるなり。一人なりとも、人の、信をとりたることを、きこしめしたき」と御ひとりごとに仰せられ候う。御一生は、人に信をとらせたく思し召され候う由、仰せられ候うと云々
(188)一 聖人の御流は、たのむ一念の所、肝要なり。故に、たのむと云うことをば、代々、あそばしおかれそうらえども、委しく何とたのめと云うことをしらざりき。然れば、前々住上人の御代に、『御文』を御作り候いて、「雑行をすてて、後生たすけたまえと、一心に弥陀をたのめ」と、あきらかにしらせられ候う。然れば御再興の上人にてましますものなり。