巻次 - 1073頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 方へは、いかほど物を入れても、あかぬ道理なり。又、報謝にもなるべしと云々(228)一 「人の、辛労もせで徳とる上品は、弥陀をたのみて仏になるにすぎたることなし」と仰せられ候うと云々(229)一 皆人毎に、よきことを云いもし、働きもすることあれば、真俗ともに、それをわがよき者に、はやなりて、その心にて御恩ということは、うちわすれて、わが心、本になるによりて、冥加につきて、世間・仏法ともに、悪き心が必ず必ず出来するなり。一大事なりと云々(230)一 堺にて、兼縁、前々住上人へ、御文を御申し候う。その時、仰せられ候う。「年もより候うに、むつかしきことを申し候う。まずは、わろきことをいうよ」と仰せられ候う。後に仰せられ候う。「仏法だに信ぜば、いかほどなりとも、あそばして然るべき」由、仰せられしと云々(231)一 同じく堺の御坊にて、前々住上人、夜更けて、蠟燭をともさせ、名号をあそばされ候う。その時、仰せられ候う。「御老体にて、御手も振るい、御目もかすみ候えども、「明日、越中へくだり候う」と申し候うほどに、かようにあそばされ候う。一日夜の事にて候う間、御辛労をかえりみられず、あそばされ候う」と仰せられ候う。「しかれば、御門徒のために、御身をばすてられ候う。人に辛労をもさせ候わで、ただ信をとらせたく思し召し候う」由、仰せられ候う。(232)一 重宝の珍物を調え、経営をしてもてなせども、食せざれば、その詮なし。同行、寄り合い、讃嘆すれども、信をとる人なければ、珍物を食せざると同じ事なりと云々 紙面画像を印刷 前のページ p1073 次のページ 初版p898・899へ このページの先頭に戻る