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(239)一 弥陀をたのめば、南無阿弥陀仏の主になるなり。南無阿弥陀仏の主に成るというは、信心をうることなりと云々 又、当流の真実の宝と云うは、南無阿弥陀仏、これ一念の信心なりと云々
(240)一 一流真宗の内にて法をそしり、わろさまにいう人あり。是れを思うに、他門他宗のことは、是非なし。一宗の中にかようの人もあるに、われら、宿善ありてこの法を信ずる身のとうとさよと思うべしと云々
(241)一 前々住上人には、何たるものをもあわれみ、かわゆく思し召し候う。大罪人とて、なお人を殺し候うこと、一段、御悲しみ候う。「存命もあらば、心中をなおすべし」と仰せられ候いて、御勘気候いても、心中だになおり候えば、やがて御宥免候うと云々
(242)一 安芸蓮宗、国をくつがえし、くせごとに付きて、御門徒をはなされ候う。前々住上人御病中に、御寺内へ参り、御侘び言申し候えども、とりつぎ候う人なく候いし。その折節、前々住上人、ふと仰せられ候う。「安芸をなおそうと思うよ」と仰せられ候う。御兄弟以下、御申すには、「一度、仏法にあたをなし申す人にて候えば、いかが」と御申し候えば、仰せられ候う。「それぞとよ。あさましき事をいうぞとよ。心中だになおらば、なにたるものなりとも、御もらしなきことに候う」と仰せられ候いて、御赦免候いき。その時、御前へ参り、御目にかかられ候うとき、感涙畳にうかみ候うと云々 而うして、御中陰の中に、蓮宗も寺内にてすぎられ候う。
(243)一 奥州に、御流のことを申しまぎらかし候う人を、きこしめして、前々住上人、奥州の