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まじきと存じ候う処に、不思議に御目にかかり候う」と申され候えば、「それは、いかに」と仰せられ候う。「舟路に難風にあい、迷惑仕り候う」由、申され候う。聖人、仰せられ候う。「それならば、船にはのらるまじきものを」と仰せられ候う。その後、「御詞の末にて候う」とて、一期、舟にのられず候う。又、茸に酔い申され、御目に遅くかかられ候いし時も、「かくのごとく仰せられし」とて、一期、受用なく候いしと云々 かように、仰せを信じちがえ申すまじきと存ぜられ候う事、誠にありがたき殊勝の覚悟との義に候う。
(292)一 身あたたかなれば、ねぶりきざし候う。あさましきことなり。その覚悟にて、身をもすずしくもち、眠りをさますべきなり。身、随意なれば、仏法・世法ともにおこたり、無沙汰・油断あり。此の義、一大事なりと云々
(293)一 信をえたらば、同行に、あらく物も申すまじきなり。心、和らぐべきなり。触光柔軟の願あり。又、信なければ、我になりて、詞もあらく、諍いも必ず出来するなり。あさまし、あさまし。能く能くこころうべしと云々
(294)一 前々住上人(蓮如)、北国に、さる御門徒の事を仰せられ候う。「何として、久しく上洛なきぞ」と仰せられ候う。御前の人、申され候う。「さる御方の、御折檻候う」と申され候う。その時、御機嫌、以ての外悪しく候いて、仰せられ候う。「開山聖人の御門徒を、さようにいう者は、あるべからず。御身一人、聊爾には思し召さぬものを、なにたるものがいうべきぞ」と。「「とくと