巻次 - 1118頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 よりこのかた出離の縁なきみと信知すべし」(往生礼讃)とすすめて、つぎに「弥陀誓願の深重なるをもって、かかる衆生をみちびきたまうと信知して、一念もうたがうこころなかれ」(同)とすすめたまえり。このこころをえつれば、わがこころのわるきにつけても、弥陀の大悲のちかいこそ、あわれにめでたく、たのもしけれとあおぐべきなり。もとよりわがちからにてまいらばこそ、わがこころのわるからんによりて、うたがうおもいもおこさめ。ひとえに仏の御ちからにてすくいたまえば、なにのうたがいかあらんとこころうるを、深信というなり。よくよくこれをこころうべし。」 六 またある人いわく、「曠劫よりこのかた、乃至今日まで、十悪・五逆・四重・謗法等のもろもろのつみをつくるゆえに、三界に流転して、いまに生死のすもりたり。かかるみの、わずかに念仏をもうせども、愛欲のなみ、とこしなえにおこりて善心をけがし、瞋恚のほむら、しきりにもえて功徳をやく。よきこころにてもうす念仏は万が一なり。そのよはみなけがれたる念仏なり。されば切にねがうといえども、この念仏、ものになるべしともおぼえずと。ひとびともまた、さるこころをなおさずは、かなうまじくもうすときに、まことに、とおぼえて、まよい候うをば、いかがし候うべき」と。 六 師のいわく、「これはさきの信心をいまだこころえず。かるがゆえに、おもいわずらいてねがうこころもゆるになるというは、回向発願心のかけたるなり。善導の御こころによるに、「釈迦のおしえにしたがいて、弥陀の願力をたのみなば、愛欲・瞋恚のおこりまじわるというとも、さらにか 紙面画像を印刷 前のページ p1118 次のページ 初版p934・935へ このページの先頭に戻る