巻次 教 165頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 値い難く見たてまつり難きこと、霊瑞華の、時あって時に乃し出ずるが猶し。今問える所は饒益する所多し。一切の諸天・人民を開化す。阿難、当に知るべし。如来正覚は、其の智量り難くして、導御したまう所多し。慧見無碍にして、能く遏絶すること無し」と。」已上 『無量寿如来会』に言わく、「阿難、仏に白して言さく、「世尊、我、如来の光瑞希有なるを見たてまつるが故に斯の念を発せり。天等に因るに非ず」と。 仏、阿難に告げたまわく、「善いかな、善いかな。汝、今快く問えり。善能く微妙の弁才を観察して、能く如来に如是の義を問いたてまつれり。汝、一切如来・応・正等覚、及び大悲に安住して、群生を利益せんが為に、優曇華の希有なるが如くして、大士、世間に出現したまえり。故に斯の義を問いたてまつる。又、諸の有情を哀愍し利楽せんが為の故に、能く如来に如是の義を問いたてまつれり」と。」已上 『平等覚経』に言わく、「仏、阿難に告げたまわく、「世間に優曇鉢樹有り。但、実有りて、華有ること無し。天下に仏有す。乃し華の出ずるが如しならくのみ。世間に仏有せども、甚だ値うこ 紙面画像を印刷 前のページ p165 次のページ 初版p153・154へ このページの先頭に戻る