巻次 行 202頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 れと。浄楽の居士張掄、縁を勧む」と。」已上 台教の祖師山陰 慶文法師 の云わく、「良に仏名は、真応の身よりして建立せるが故に、慈悲海よりして建立せるが故に、誓願海よりして建立せるが故に、智慧海よりして建立せるが故に、法門海よりして建立せるに由るが故に、若し但専ら一仏の名号を称するは則ち是れ具に諸仏の名号を称するなり。功徳無量なれば、能く罪障を滅す、能く浄土に生ず。何ぞ必ず疑を生ぜんや」と。已上 律宗の祖師元照の云わく(観経義疏)、「況んや我が仏大慈、浄土を開示して慇懃に遍く諸大乗を勧嘱したまえり。目に見、耳に聞きて、特に疑謗を生じて、自ら甘く沈溺して超昇を慕わず。如来、説きて憐憫すべき者の為にしたまえり。良に、此の法の、特り常途に異なることを知らざるに由りてなり。賢愚を択ばず、緇素を簡ばず、修行の久近を論ぜず、造罪の重軽を問わず。但、決定の信心即ち是れ往生の因種ならしむ」と。已上 又云わく(元照観経義疏)、「今、浄土の諸経に並びに魔を言わず。即ち知りぬ、此の法に魔無きこと明らけしと。山陰の慶文法師の『正信法門』に之を弁ずること、甚だ詳らかなり。今、為に具に彼の問を引きて曰わく、「或いは人有りて云わく、「臨終に、仏・菩薩の、光を放ち台を持したまえるを見たてまつり、天楽・異香、来迎往生す。並びに是れ魔事なり」と。此の説如何ぞや。 答えて曰わく、『首楞厳』に依りて三昧を修習すること有り、或いは陰魔を発動す。『摩訶衍 紙面画像を印刷 前のページ p202 次のページ 初版p184へ このページの先頭に戻る