巻次 行 205頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 利、此れに在り」と。已上 慈雲法師〔天竺寺遵式〕の云わく(元照観経義疏)、「「唯安養の浄業、捷真なり。修すべし。若し四衆有りて、復た速やかに無明を破し、永く五逆・十悪・重軽等の罪を滅せんと欲わば、当に此の法を修すべし。大小の戒体、遠く復た清浄なることを得しめ、念仏三昧を得しめ、菩薩の諸波羅蜜を成就せんと欲わば、当に此の法を学すべし。臨終に諸の怖畏を離れしめ、身心安快にして、衆聖現前し授手接引せらるることを得、初めて塵労を離れて便ち不退に至り、長劫を歴ず即ち無生を得んと欲わば、当に此の法等を学すべし。」古賢の法語に、能く従うこと無からんや。已上五門、綱要を略標す。自余は尽くさず。委しく釈文に在り。『開元の蔵録』(開元釈教録)を案ずるに、此の『経』(観経)、凡そ両訳有り。前本は已に亡じぬ。今の本は乃ち畺良耶舎の訳なり。『僧伝』(梁高僧伝)に云わく、「畺良耶舎、此には「時称」と云う。宋の元嘉の初めに京邑に建めたり。 文帝のとき。」」 紙面画像を印刷 前のページ p205 次のページ 初版p186・187へ このページの先頭に戻る