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行を抛ちて、選びて正行に帰すべし。正行を修せんと欲わば、正・助二業の中に、猶、助業を傍らにして、選びて正定を専らすべし。正定の業とは即ち是れ仏の名を称するなり。称名は必ず生を得。仏の本願に依るが故に」と。已上

 明らかに知りぬ。是れ凡聖自力の行に非ず。故に「不回向の行」と名づくるなり。大小聖人、重軽悪人、皆同じく斉しく選択大宝海に帰して念仏成仏すべし。

 是を以て『論註』に曰わく、「彼の安楽国土は、阿弥陀如来の正覚浄華の化生する所に非ざること莫し。同一に念仏して別の道無きが故に」とのたまえり。已上

 爾れば、真実の行信を獲れば、心に歓喜多きが故に、是れを「歓喜地」と名づく。是れを初果に喩うることは、初果の聖者、尚睡眠し懶堕なれども、二十九有に至らず。何に況んや、十方群生海、斯の行信に帰命すれば摂取して捨てたまわず。故に「阿弥陀仏」と名づ

漢文

明知。是非凡聖自力之行。故名不回向之行也。大小聖人重軽悪人、皆同斉応帰選択大宝海念仏成仏。


爾者獲真実行信者、心多歓喜故、是名歓喜地。是喩初果者、初果聖者、尚睡眠懶堕不至二十九有。何況十方群生海、帰命斯行信者摂取不捨。故名阿弥陀仏。是曰「他力。」