巻次 信 271頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 漢文 画像情報 画像情報 本文 即ち『大本』(大経)に「易往而無人」と云えり。故に知りぬ、難信なりと。」 『聞持記』に云わく、「「不簡愚智」(元照阿弥陀経義疏)というは、性に利鈍有り。「不択豪賤」(同)というは、報に強弱有り。「不論久近」(同)というは、功に浅深有り。「不選善悪」(同)というは、行に好醜有り。「取決誓猛信臨終悪相」(同)というは、即ち『観経』の下品中生に「地獄の衆火、一時に倶に至る」と等。「具縛凡愚」(同)というは、二惑、全く在るが故に。「屠沽下類刹那超越成仏之法可謂一切世間甚難信也」(同)というは、「屠」は、謂わく、殺を宰る。「沽」は即ち醞売、此くの如し。悪人、止、十念に由りて、便ち超往を得。豈に難信に非ずや。」 阿弥陀如来は、「真実明」・「平等覚」・「難思議」・「畢竟依」・「大応供」・「大安慰」・「無等等」・「不可思議光」と号したてまつるなりと。已上 『楽邦文類』の「後序」に曰わく、「浄土を修する者、常に多けれども、其の門を得て径ちに造る者、幾ばく無し。浄土を論ずる者、常に多けれども、其の要を得て直ちに指うる者、或いは寡なし。曾て未だ聞かず、自障自蔽を以て説を為すこと有る者。得るに因りて、以て之を言う。夫れ自障は愛に若く莫し、自蔽は疑に若く莫し。但、疑・愛の二心、了に障碍無からしむるは則ち浄土の一門なり。未だ始めて間隔せず。弥陀の洪願、常に自ずから摂持したまう。必然の理なり。」已上 夫れ真実信楽を案ずるに、信楽に一念有り。「一念」 漢文 阿弥陀如来、号真実明・平等覚・難思議・畢竟依・大応供・大安慰・無等等・不可思議光。已上夫案真実信楽、信楽有一念。一念者斯 紙面画像を印刷 前のページ p271 次のページ 初版p238・239へ このページの先頭に戻る