巻次
293頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

 耆婆、答えて言さく、「善いかな、善いかな。王、罪を作すと雖も、心に重悔を生じて慙愧を懐けり。大王。諸仏世尊、常に是の言を説きたまわく、「二の白法有り、能く衆生を救く。一には慙、二には愧なり。「慙」は自ら罪を作らず、「愧」は他を教えて作さしめず。「慙」は内に自ら羞恥す、「愧」は発露して人に向かう。「慙」は人に羞ず、「愧」は天に羞ず。是れを「慙愧」と名づく。無慙愧は、名づけて「人」とせず、名づけて「畜生」とす。」慙愧有るが故に、則ち能く父母・師長を恭敬す。慙愧有るが故に、父母・兄弟・姉妹有ることを説く。善いかな、大王。具に慙愧有りと。乃至 王の言う所の如し、「能く治する者無けん。」大王、当に知るべし。迦毘羅城に浄飯王の子、姓は瞿曇氏、「悉達多」と字づく。師無くして自然に覚悟して阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと。乃至 是れ仏世尊なり。金剛智有して、能く衆生の一切悪罪を破せしむること、若し能わずと言わば、是の処有ること無けんと。乃至 大王。如来、弟提婆達多有り。衆僧を破壊し、仏身より血を出だし、蓮華比丘尼を害す。三逆罪を作れり。如来、為に種種の法要を説きたまうに、其の重罪をして、尋ち微薄なることを得しめたまう。是の故に如来を大良医とす。六師には非ざるなり」と。乃至
 「大王。一逆を作れば、則便ち具に是くの如き一罪を受く。若し二逆罪を造らば、則ち二倍な