巻次 信 301頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 月の出ずる時に於いて復た劫盗を行ぜん。日月出でざるに則ち罪を作らず。日月に因りて、其れ罪を作らしむと雖も、然るに此の日月、実に罪を得ず。殺も亦是くの如し。乃至 大王。譬えば涅槃は非有非無にして、亦是れ有なるが如し。殺も亦是くの如し。非有非無にして、亦是れ有なりと雖も、慙愧の人は則ち非有とす。無慙愧の者は則ち非無とす。果報を受くる者、之を名づけて「有」とす。空見の人は則ち非有とす。有見の人は則ち非無有とす。有見の者は亦名づけて「有」とす。何を以ての故に。有有見の者は果報を得るが故に。無有見の者は則ち果報無し。常見の人は則ち非有とす。無常見の者は則ち非無とす。常常見の者は無とすることを得ず。何を以ての故に。常常見の者は悪業果有るが故に。是の故に常常見の者は無とすることを得ず。是の義を以ての故に、非有非無にして亦是れ有なりと雖も、大王、夫れ衆生は出入の息に名づく。出入の息を断つ故に、名づけて「殺」とす。諸仏、俗に随いて、亦説きて「殺」とす。」乃至 「世尊。我、世間を見るに、伊蘭子より伊蘭樹を生ず。伊蘭より栴檀樹を生ずるをば見ず。我、今始めて伊蘭子より栴檀樹を生ずるを見る。「伊蘭子」は我が身、是れなり。「栴檀樹」は即ち是れ我が心、無根の信なり。「無根」は、我、初めて如来を恭敬せんことを知らず、法・僧を信ぜず。是れを「無根」と名づく。世尊。我、若し如来世尊に遇わずは、当に無量阿僧祇劫に於いて大地獄に在りて無量の苦を受くべし。我今、仏を見たてまつる。是れ仏を見たてまつるを以て得る所の功徳、衆生の煩悩悪心を破壊せしむ」と。 紙面画像を印刷 前のページ p301 次のページ 初版p264・265へ このページの先頭に戻る