巻次 信 303頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 若しは信及び不信、定んで是の仏説を知らん。諸仏、常に軟語をもって、衆の為の故に麁を説きたまう。麁語及び軟語、皆、第一義に帰せん。是の故に我今者、世尊に帰依したてまつる。如来の語は一味なること、猶大海の水の如し。是れを第一諦と名づく。故に無無義の語にして、如来、今、説きたまう所の種種無量の法、男女・大小、聞きて、同じく第一義を獲しめん。無因亦無果なり。無生亦無滅なり。是れを大涅槃と名づく。聞く者、諸結を破す。如来、一切の為に、常に慈父母と作りたまえり。当に知るべし。諸の衆生は、皆是れ如来の子なり。世尊大慈悲は、衆の為に苦行を修したまうこと、人の、鬼魅に著わされて、狂乱して所為多きが如し。我今、仏を見たてまつることを得たり。得る所の三業の善、願わくは此の功徳を以て、無上道に回向せん。我今、供養する所の、仏・法及び衆僧、願わくは此の功徳を以て、三宝、常に世に在さん。我今、当に獲べき所の種種の諸の功徳、願わくは此れを以て、衆生の四種の魔を破壊せん。 紙面画像を印刷 前のページ p303 次のページ 初版p266・267へ このページの先頭に戻る