巻次 信 313頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 の鼓を聞けば、即ち箭出け毒除こるが如し 『首楞厳経』に言わく、「譬えば薬有り、名づけて「滅除」と曰う。若し闘戦の時に、用以て鼓に塗るに、鼓の声を聞く者、箭出け毒除こるが如し。菩薩摩訶薩も亦復是くの如し。首楞厳三昧に住して、其の名を聞く者、三毒の箭、自然に抜出す」と。豈に「彼の箭深く毒厲しからん。鼓の音声を聞くとも、箭を抜き毒を去ること能わじ」と言うことを得べけんや。是れを「在縁」と名づく。 云何が「決定に在る」と。彼の罪を造る人は有後心・有間心に依止して生ず。此の十念は無後心・無間心に依止して生ず。是れを「決定」と名づく。 三の義を校量するに、十念は重なり。重き者、先ず牽きて、能く三有を出ず。両経、一義なるならくのみと。 問うて曰わく、幾ばくの時をか、名づけて「一念」とするや。 答えて曰わく、百一の生滅を「一刹那」と名づく。六十の刹那を、名づけて「一念」とす。此の中に「念」と云うは、此の時節を取らざるなり。但、阿弥陀仏を憶念して、若しは総相、若しは別相、所観の縁に随いて、心に他想無くして十念相続するを、名づけて「十念」とすと言うなり。但し名号を称することも亦復是くの如し。 紙面画像を印刷 前のページ p313 次のページ 初版p274・275へ このページの先頭に戻る