巻次 証 323頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 思議すべきや。」已上抄要 『安楽集』に云わく、「然るに二仏の神力、亦斉等なるべし。但釈迦如来、己が能を申べずして、故らに彼の長ぜるを顕したまうことは、一切衆生をして斉しく帰せざること莫からしめんと欲してなり。是の故に釈迦、処処に嘆帰せしめたまえり。須く此の意を知るべしとなり。是の故に曇鸞法師の正意、西に帰るが故に、『大経』に傍えて奉讃して曰わく、「安楽の声聞・菩薩衆・人天、智慧咸く洞達せり。身相荘厳、殊異無し。但、他方に順ずるが故に名を列ぬ。顔容端政にして比ぶべき無し。精微妙軀にして人天に非ず。虚無の身・無極の体なり。是の故に平等力を頂礼したてまつる」(讃阿弥陀仏偈)と。」已上 光明寺(善導)の『疏』(玄義分)に云わく、「「弘願」と言うは、『大経』の説の如し。一切善悪の凡夫、生を得るは、皆、阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざるは莫しとなり。又、仏の密 紙面画像を印刷 前のページ p323 次のページ 初版p283へ このページの先頭に戻る