巻次
327頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

身等しく法等しきや。
 答えて曰わく、「畢竟」は、未だ「即ち等し」と言うにはあらずなりと。畢竟じて、此の等しきことを失せざるが故に、「等」と言うならくのみと。
 問うて曰わく、若し即ち等しからずは、復た何ぞ「菩薩」と言うことを得ん。但、初地に登れば、以て漸く増進して、自然に当に仏と等しかるべし。何ぞ仮に「上地の菩薩と等し」と言うや。
 答えて曰わく、菩薩、七地の中にして大寂滅を得れば、上に諸仏の求むべきを見ず、下に衆生の度すべきを見ず。仏道を捨てて実際を証せんと欲す。爾の時に、若し十方諸仏の神力加勧を得ずは、即便ち滅度して二乗と異無けん。菩薩、若し安楽に往生して阿弥陀仏を見たてまつるに、即ち此の難無けん。是の故に須く「畢竟平等」と言うべし。
 復た次に『無量寿経』の中に、阿弥陀如来の本願に言わく(第二十二願)、「設い我、仏を得たらんに、他方仏土の諸の菩薩衆、我が国に来生して、究竟して必ず一生補処に至らん。其の本願の自在の所化、衆生の為の故に弘誓の鎧を被て、徳本を積累し一切を度脱せしめ、諸仏の国に遊びて菩薩の行を修し、十方諸仏如来を供養し、恒砂無量の衆生を開化して、無上正真の道を立