巻次
真仏土
351頁
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の故に、則ち仏性と決定と涅槃とを知るなりと。善男子。法の名一義異なる有り。法の名義倶異なる有り。名一義異とは、「仏」と「常法」と「常比丘僧」とは常なり。「涅槃」・「虚空」、皆亦是れ常なり。是れを「名一義異」と名づく。名義倶異とは、仏を名づけて「覚」とす。法を「不覚」と名づく。僧を「和合」と名づく。涅槃を「解脱」と名づく。虚空を「非善」と名づく。亦「無碍」と名づく。是れを名義倶異とす。善男子。三帰依とは亦復是くの如し」と。」略出
 又言わく(四依品)、「光明は不羸劣に名づく。不羸劣とは、名づけて「如来」と曰う。又、光明は名づけて「智慧」とす」と。已上
 又言わく(聖行品)、「善男子。一切有為は皆是れ無常なり。虚空は無為なり。是の故に常とす。仏性は無為なり。是の故に常とす。虚空は即ち是れ仏性なり。仏性は即ち是れ如来なり。如来は即ち是れ無為なり。無為は即ち是れ常なり。常は即ち是れ法なり。法は即ち是れ僧なり。僧即ち無為なり。無為は即ち是れ常なり。乃至 善男子。譬えば、牛より乳を出だす。乳より酪を出だす。酪より生蘇を出だす。生蘇より熟蘇を出だす。熟蘇より醍醐を出だす。醍醐最上なり。若し服すること有る者は、衆病、皆除こる。所有の諸の薬、悉く其の中に入るが如し。善