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真仏土
361頁
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ん。善男子。我が諸の弟子、是の説を聞き已りて我が意を解らざれば唱えて言わく、「如来、定んで仏身は是れ無為の法なりと説きたまえり」と。」
 又言わく(迦葉菩薩品)、「我が所説の十二部経の如し。或いは随自意説、或いは随他意説、或いは随自他意説なり。乃至 善男子。我が所説の如き、「十住の菩薩、少しき、仏性を見る」、是れを「随他意説」と名づく。何を以ての故に「少見」と名づくるやと。十住の菩薩は首楞厳等の三昧・三千の法門を得たり。是の故に、声聞、自ら知りて当に阿耨多羅三藐三菩提を得べくとも、一切衆生、定んで阿耨多羅三藐三菩提を得んことを見ず。是の故に我、「十住の菩薩、少分、仏性を見る」と説くなり。
 善男子。常に「一切衆生悉有仏性」と宣説する。是れを「随自意説」と名づく。「一切衆生、不断不滅にして、乃至阿耨多羅三藐三菩提を得る。」是れを「随自意説」と名づく。
 「一切衆生は悉く仏性有れども、煩悩覆えるが故に見ることを得ること能わずと。我が説、是くの如し。汝が説、亦爾なり」と。是れを「随自他意説」と名づく。善男子。如来、或る時は一法の為の故に無量の法を説く」と。抄出