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真仏土
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 憬興師の云わく(述文賛)、「「無量光仏」(大経)算数に非ざるが故に。「無辺光仏」(同)縁として照らさざること無きが故に。「無碍光仏」(同)人法として能く障うること有ること無きが故に。「無対光仏」(同)諸菩薩の及ぶ所に非ざるが故に。「光炎王仏」(同)光明自在にして、更に為すこと上無きが故に。「清浄光仏」(同)無貪の善根よりして現ずるが故に、亦衆生貪濁の心を除くなり。貪濁の心無きが故に「清浄」と云う。「歓喜光仏」(同)無瞋の善根よりして生ずるが故に、能く衆生の瞋恚盛心を除く故に。「智慧光仏」(同)無痴の善根の心より起これり。復た衆生の無明品心を除くが故に。「不断光仏」(同)仏の常光、恒に照益を為すが故に。「難思光仏」(同)諸の二乗の測度する所に非ざるが故に。「無称光仏」(同)亦余乗等、説くこと堪うる所に非ざるが故に。「超日月光仏」(同)日は応じて恒に照らすこと周からず。娑婆一耀の光なるが故に。皆是れ光触を身に蒙るは、身心柔軟の願の致す所なり。」已上抄要

 爾れば、如来の真説、宗師の釈義、明らかに知りぬ。安養浄刹は真の報土なることを顕す。惑染の衆生、此にして性を見ること能わず。煩悩に覆わるるが故に。
 『経』(涅槃経)には「我、「十住の菩薩、少分、仏性を見る」と説く」と言えり。故に知りぬ。安楽仏国に到れば即ち必ず仏性を顕す。本願力の回向に由るが故に。

漢文

爾者如来真説、宗師釈義、明知。顕安養浄刹真報土。惑染衆生、於此不能見性。所覆煩悩故。
『経』言「我説十住菩薩少分見仏性。」故知。到安楽仏国即必顕仏性。由本願力回向故。