巻次
化本
414頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

想非非想処の為の故に繫念思惟せん。是の四の善事、悪果報を得ん。若し人、是くの如きの四事を修習せん。是れを「没して没し已りて還りて出ず。出で已りて還りて没す」と名づく。何が故ぞ「没」と名づくる。三有を楽うが故に。何故ぞ「出」と名づくる。明を見るを以ての故に。明は即ち是れ戒・施・定を聞くなり。何を以ての故に還りて出没するや。邪見を増長し憍慢を生ずるが故に。是の故に、我、経の中に於いて偈を説かく、

若し衆生有りて、諸有を楽いて、有の為に善悪の業を造作する、
是の人は涅槃道を迷失するなり。是れを蹔出還復没と名づく。
黒闇生死海を行じて、解脱を得と雖も煩悩を雑するは、
是の人、還りて悪果報を受く。是れを蹔出還復没と名づくと。

 如来に則ち二種の涅槃有り。一には有為、二には無為なり。有為涅槃は無常なり。楽・我・浄は無為涅槃なり。常人有りて、深く是の二種の戒倶に因果有りと信ぜん。是の故に名づけて「戒」とす。戒不具足、是の人は信・戒の二事を具せず。所楽多聞にして亦不具足なり。
 云何なるをか名づけて「聞不具足」とする。如来の所説は十二部経なり。唯、六部を信じて、未だ六部を信ぜず。是の故に名づけて「聞不具足」とす。復た是の六部の経を受持すと雖も読誦に能わずして他の為に解説するは、利益する所無けん。是の故に名づけて「聞不具足」とす。又復、是の六部の経を受け已りて、論議の為の故に、勝他の為の故に、利養の為の故に、諸有の為の故に、