巻次 化本 417頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 漢文 画像情報 画像情報 本文 〔「弘」の字、智昇法師『懺儀』の文なり。〕普く化するは、真に仏恩を報ずるに成る」と。 又云わく(法事讃)、「帰去来、他郷には停まるべからず。仏に従いて本家に帰せよ。本国に還りぬれば、一切の行願、自然に成ず。悲喜交わり流る。深く自ら度るに、釈迦仏の開悟に因らずは、弥陀の名願、何れの時にか聞かん。仏の慈恩を荷いても、実に報じ難し」と。 又云わく(法事讃)、「十方六道、同じく此れ輪回して際無し。偱偱として愛波に沈みて苦海に沈む。仏道、人身、得難くして今已に得たり。浄土、聞き難くして今已に聞けり。信心、発し難くして今已に発せり」と。已上 真に知りぬ。専修にして雑心なる者は、大慶喜心を獲ず。故に宗師(善導)は、「彼の仏恩を念報すること無し。業行を作すと雖も、心に軽慢を生ず。常に名利と相応するが故に。人我自ずから覆いて同行善知識に親近せざるが故に。楽みて雑縁に近づきて往生の正行を自障障他するが故に」(往生礼讃)と云えり。 漢文 真知。専修而雑心者、不獲大慶喜心。故宗師云「無念報彼仏恩。雖作業行心生軽慢。常与名利相応故。人我自覆不親近同行善知識故。楽近雑縁自障障他往生正行故。」 紙面画像を印刷 前のページ p417 次のページ 初版p355・356へ このページの先頭に戻る