巻次
化末
466頁
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昭王、神を誕ずることを懼る。雲霓、色を変じ、穆后、聖を亡わんことを欣ぶ 『周書異記』に云わく、「昭王二十四年四月八日、江河・泉水、悉く泛漲せり。穆王五十二年二月十五日、暴風起ちて樹木折れ、天陰り雲黒し。白虹の怪有り。豈に能く葱河を越えて化を稟け、雪嶺を踰えて誠を効さんや。『浄名』(維摩経)に云わく、「是れ盲者遇えり。日月の咎に非ず。」適たま其の鑿竅の弁を窮めんと欲す。恐らくは、吾が子混沌の性を傷む。爾、知る所に非ず。其の盲の一なり。」
 「内には像塔を建造す。指うる二。
 漢明より已下、斉・梁、王・公・守牧、清信士・女、及び比丘・比丘尼等に訖う。冥に至聖を感じ、国に神光を覩る者、凡そ二百余人、迹を万山に見、耀を滬瀆に浮かべ、清台の下に満月の容を覩、雍門の外に相輪の影を観るが如きに至りては、南平は応を瑞像に獲、文宣は夢を聖牙に感ず。蕭后、一たび鋳て剋成し、宗皇、四たび摸して就らず。其の例、甚だ衆し。具に陳ぶべからず。豈に爾が無目を以て彼の有霊を斥わんや。
 然るに、徳として備わらざる者無し、之を謂いて「涅槃」とす。道として通ぜざる者無し、之を名づけて「菩提」とす。智として周からざる者無し、之を称して「仏陀」とす。此の漢語を以て彼の梵言を訳す。則ち彼・此の仏、照然として信ずべきなり。何を以てか之を明かすとならば、夫れ「仏陀」は、漢には「大覚」と言うなり。「菩提」をば、漢には「大道」と言うなり。「涅槃」は、漢には「無為」と言うなり。而るに吾子、終日に菩提の地を践んで大道を知らず。即ち菩提の異号な