巻次
化末
470頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

 故に経教、『成実論』に説きて云わく、「若し外道に事えて心重く、仏法は心軽し。即ち是れ邪見なり。若し心一等なる、是れ無記にして当たらず。」若し善悪、仏に事えて、孝子に強くして、心少なきは、乃ち是れ清信なり。「清」と言うは、「清」は是れ表裏倶に浄く、垢穢惑累、皆尽くす。「信」は是れ正を信じて邪ならざる故に、「清信仏弟子」と言う。其の余、等しく皆邪見なり。「清信」と称することを得ざるなり。」乃至「老子の邪風を捨てて、法の真教に入流せよとなり。」」已上抄出
 光明寺の和尚(善導)の云わく(法事讃)、「上方の諸仏、恒沙の如し。還りて舌相を舒べたまうことは、娑婆の十悪・五逆、多く疑謗し、邪を信じ鬼に事え神魔を餧しめて、妄りに想いて恩を求めて福有らんと謂えば、災障禍、横に転た弥いよ多し。連年に病の床枕に臥す。聾い盲い脚折れ手攣き撅る。神明に承事して此の報を得るものの為なり。如何ぞ捨てて弥陀を念ぜざらん」と。已上
 天台(智顗)の『法界次第』に云わく、「一には仏に帰依す。『経』(涅槃経)に云わく、「仏に帰依せん者、終に更って其の余の諸の外天神に帰依せざれ」と。又云わく(長阿含経)、「謂わく〔無きか〕、仏に帰依せん者、終に悪趣に堕せず」と云えり。二に法に帰依す。謂わく、大聖の所説、若しは教、若しは理、帰依し修習せよとなり。三に僧に帰依す。謂わく、心、家を出でたる三乗正行の伴に帰するが故に。『経』(涅槃経)に云わく、「永く復た更って其の余の諸の外道に