巻次
化末
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帰依せざるなり」と。」已上
 慈雲大師(遵式)の云わく(楽邦文類)、「然るに、祭祀の法は、天竺には「韋陀」、支那には「祀典」といえり。既に未だ世を逃れず。真を論ずるは俗を誘うるの権方なり」と。文
 高麗の観法師(諦観)の云わく(天台四教儀)、「「餓鬼道」、梵語には「闍黎多」、此の道、亦諸趣に遍ず。福徳有る者は山林塚広神と作る。福徳無き者は不浄処に居し飲食を得ず、常に鞭打を受く。河を填ぎ海を塞ぎて、苦を受くること無量なり。諂誑の心意なり。下品の五逆・十悪を作りて、此の道の身を感ず」と。已上
 神智法師(従義)、釈して云わく(四教儀集解)、「餓鬼道は、常に飢えたるを「餓」と曰う。「鬼」の言は、尸に帰す。子の曰わく、「古は「人死」と名づく。帰人とす。」又、天神を「鬼」と云う。地神を「祇」と曰うなり。乃至 形、或いは人に似たり。或いは獣等の如し。心、正直ならざれば、名づけて「諂誑」とす」と。