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化末
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鳥羽院」と号す。〕   今上 諱為仁〔「土御門院」と号す。〕聖暦承元丁の卯の歳、仲春上旬の候に奏達す。  主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し怨を結ぶ。
 茲れに因りて、真宗興隆の大祖源空法師、幷びに門徒数輩、罪科を考えず、猥りがわしく死罪に坐す。或いは僧儀を改めて姓名を賜うて遠流に処す。予は其の一なり。爾れば已に僧に非ず俗に非ず。是の故に「禿」の字を以て姓とす。空師、幷びに弟子等、諸方の辺州に坐して五年の居諸を経たりき。  皇帝 諱守成 〔佐土院〕聖代建暦辛の未の歳、子月の中旬第七日に、 勅免を蒙りて入洛して已後、空(源空)、洛陽

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成  今上 諱為仁 聖暦承元丁卯歳仲春上旬之候。  主上臣下、背法違義、成忿結怨。
因茲真宗興隆大祖源空法師幷門徒数輩、不考罪科、猥坐死罪。或改僧儀賜姓名処遠流。予其一也。爾者已非僧非俗。是故以禿字為姓。空師幷弟子等、坐諸方辺州経五年居諸。  皇帝 諱守成 聖代建暦辛未歳子月中旬第七日、蒙 勅免入洛已後、空居洛陽東山西麓鳥部野北辺大谷。同二年壬申寅月下旬第五日午時入滅。