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如来、衆生を憐念したまうこと、母の、子を憶うが如し」と。『大論』(大智度論)に云わく、「譬えば、魚母の、若し子を念わざれば、子即ち壊爛する等の如し」と。「阿耨多羅」、此には「無上」と翻ず。「三藐」は「正等」と云う。「三菩提」は「正覚」と云う。即ち仏果の号なり。薄地の凡夫、業惑に纏縛せられて五道に流転せること、百千万劫なり。忽ちに浄土を聞きて、志願して生まれんと求む。一日、名を称すれば、即ち彼の国に超ゆ。諸仏護念して直ちに菩提に趣かしむ。謂うべし、万劫にも逢い難し。千生に一たび誓に遇えり。今日より、未来を終尽すとも、在処にして讃揚し、多方にして勧誘せん。所感の身土、所化の機縁、阿弥陀と等しくして異有ること無けん。此の心、極罔し。唯、仏、証知したまえ。是の故に下に三たび信を勧む。我が語を信ずるは、教を信ずと謂うなり。我が十方諸仏を信ぜざるが如しと、豈に虚妄なるをや」と。略出

建長七歳乙卯八月二十七日書之  愚禿親鸞 八十三歳


永仁元年 癸巳 十月六日書写之