巻次 下 515頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 漢文 画像情報 画像情報 本文 愚禿鈔下賢者の信を聞きて、愚禿が心を顕す。賢者の信は、内は賢にして外は愚なり。愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり。 唐朝の光明寺の和尚(善導)の『観経義』(散善義)に云わく、「先ず上品上生の位の中に就いて、乃至 一に「仏告阿難」(観経)より已下は、即ち双べて二の意を標す。一に告命を明かす。二に其の位を弁定することを明かす。此れ即ち大乗の上善を修学する凡夫人なり。 二に「若有衆生」(同)より下「即便往生」(同)に至るまで已来は、正しく総じて有生の類を挙ぐることを明かす。即ち其れに四有り。一には能信の人を明かす。二には往生を求願することを明かす。三には発心の多少を明かす。四は得生の益を明かす。 三には「何等為三」(同)より下「必生彼国」(同)に至るまで已来は、正しく三心を弁定して、以て正因とすることを明かす。即ち二有り。一は、世尊、機に随いて益を顕すこと、意、密にして知り難し。仏自ら問うて自ら徴したまうに非ずは、解を得ること、由無きことを明かす。二は、如来、還りて自ら前の三心の数を答えたまうことを明かす。 『経』(観経)に云わく、「一者至誠心。」「至」は真なり、「誠」は実なり。一切衆生、身口意 漢文 聞賢者信 顕愚禿心賢者信 内賢外愚也愚禿心 内愚外賢也 紙面画像を印刷 前のページ p515 次のページ 初版p435・436へ このページの先頭に戻る