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愚禿鈔下

賢者の信を聞きて、愚禿が心を顕す。
賢者の信は、内は賢にして外は愚なり。
愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり。

 唐朝の光明寺の和尚(善導)の『観経義』(散善義)に云わく、「先ず上品上生の位の中に就いて、乃至 一に「仏告阿難」(観経)より已下は、即ち双べて二の意を標す。一に告命を明かす。二に其の位を弁定することを明かす。此れ即ち大乗の上善を修学する凡夫人なり。
 二に「若有衆生」(同)より下「即便往生」(同)に至るまで已来は、正しく総じて有生の類を挙ぐることを明かす。即ち其れに四有り。一には能信の人を明かす。二には往生を求願することを明かす。三には発心の多少を明かす。四は得生の益を明かす。
 三には「何等為三」(同)より下「必生彼国」(同)に至るまで已来は、正しく三心を弁定して、以て正因とすることを明かす。即ち二有り。一は、世尊、機に随いて益を顕すこと、意、密にして知り難し。仏自ら問うて自ら徴したまうに非ずは、解を得ること、由無きことを明かす。二は、如来、還りて自ら前の三心の数を答えたまうことを明かす。
 『経』(観経)に云わく、「一者至誠心。」「至」は真なり、「誠」は実なり。一切衆生、身口意

漢文

聞賢者信 顕愚禿心
賢者信  内賢外愚也
愚禿心  内愚外賢也