巻次 正像末 626頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 せたまいたるによりて、行者の、よからんとも、あしからんともおもわぬを、自然とはもうすぞと、ききてそうろう。ちかいのようは、無上仏にならしめんとちかいたまえるなり。無上仏ともうすは、かたちもなくまします。かたちもましまさぬゆえに、「自然」とはもうすなり。かたちましますとしめすときは、無上涅槃とはもうさず。かたちもましまさぬようをしらせんとて、はじめに弥陀仏とぞ、ききならいてそうろう。弥陀仏は、自然のようをしらせんりょうなり。この道理をこころえつるのちには、この自然のことは、つねにさたすべきにはあらざるなり。つねに自然をさたせば、「義なきを義とす」ということは、なお義のあるべし。 これは仏智の不思議にてあるなり。よしあしの文字をもしらぬひとはみなまことのこころなりけるを善悪の字しりがおはおおそらごとのかたちなり是非しらず邪正もわかぬこのみなり小慈小悲もなけれども名利に人師をこのむなり已上右斯三帖和讃幷正信偈四帖一部者末代為興際板木開之者也而已文明五年 癸巳 三月 日(蓮如花押) 紙面画像を印刷 前のページ p626 次のページ 初版p511へ このページの先頭に戻る