巻次 - 659頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 ところをへだてず、ときをわかず、ひとをきらわず、信心ある人をば、ひまなくまもりたまうとなり。まもるというは、異学異見のともがらにやぶられず、別解別行のものにさえられず、天魔波旬におかされず、悪鬼悪神なやますことなしとなり。「不捨」というは、信心のひとを、智慧光仏の御こころにおさめまもりて、心光のうちに、ときとしてすてたまわずと、しらしめんともうす御のりなり。「総不論照摂余雑業行者」というは、「総」は、みなというなり。「不論」は、いわずというこころなり。「照摂」は、てらしおさむと。「余の雑業」というは、もろもろの善業なり。雑行を修し、雑修をこのむものをば、すべてみな、てらしおさむといわずと、まもらずとのたまえるなり。これすなわち本願の行者にあらざるゆえに、摂取の利益にあずからざるなりとしるべしとなり。このよにてまもらずとなり。「此亦是現生護念」というは、このよにてまもらせたまうとなり。本願業力は、信心のひとの強縁なるがゆえに、「増上縁」ともうすなり。信心をうるをよろこぶ人をば、『経』 紙面画像を印刷 前のページ p659 次のページ 初版p538へ このページの先頭に戻る