巻次 - 663頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 り。「不問」は、とわずというなり。「時」は、ときなり、十二時なり。「節」は、ときなり、十二月、四季なり。「久」は、ひさしき、「近」は、ちかしとなり。ときをえらばざれば、不浄のときをへだてず、よろずのことをきらわざれば、「不問」というなり。「是名正定之業 順彼仏願故」(同)というは、弘誓を信ずるを報土の業因とさだまるを、「正定の業となづく」という。「仏の願にしたがうがゆえに」ともうす文なり。 一念多念のあらそいをなすひとをば「異学別解のひと」ともうすなり。「異学」というは、聖道外道におもむきて、余行を修し、余仏を念ず、吉日良辰をえらび、占相祭祀をこのむものなり。これは外道なり。これらはひとえに自力をたのむものなり。「別解」は、念仏をしながら、他力をたのまぬなり。「別」というは、ひとつなることをふたつにわかちなすことばなり。「解」は、さとるという、とくということばなり。念仏をしながら、自力にさとりなすなり。かるがゆえに「別解」というなり。また助業をこのむもの、これすなわち自力をはげむひとなり。自力というは、わがみをたのみ、わがこころをたのむ、わがちからをはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり。 紙面画像を印刷 前のページ p663 次のページ 初版p541へ このページの先頭に戻る