巻次 - 689頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 あしきことをいとうしるし、この身のあしきことをいといすてんとおぼしめすしるしもそうろうべしとこそ、おぼえそうらえ。はじめて仏のちかいをききはじむるひとびとの、わが身のわるく、こころのわるきをおもいしりて、この身のようにてはいかが往生せんずる、というひとにこそ、煩悩具したる身なれば、わがこころのよしあしをば沙汰せず、むかえたまうぞ、とはもうしそうらえ。かくききてのち、仏を信ぜんとおもうこころふかくなりぬるには、まことにこの身をもいとい、流転せんことをもかなしみて、ふかくちかいをも信じ、阿弥陀仏をもこのみもうしなんどするひとは、もとこそ、こころのままにて、あしきことをもおもい、あしきことをもふるまいなんどせしかども、いまは、さようのこころをすてんとおぼしめしあわせたまわばこそ、世をいとうしるしにてもそうらわめ。 また、往生の信心は、釈迦・弥陀の御すすめによりておこるとこそ、みえそうらえば、さりとも、まことのこころおこらせたまいなんには、いかでかむかしの御こころのままにてはそうろうべき。この御なかのひとびとも、少々はあしきさまなることもきこえそうろうめり。師をそしり、善知識をかろしめ、同行をもあなずりなんどしあわせたまうよし、きこえそうろう。あさましくそうろう。すでに、謗法のひとなり、五逆のひとなり。なれむつぶべからず。『浄土論』(論註)ともうすふみには、「かようのひとは、仏法信ずるこころのなきより、このこころはおこるなり」とそうろうめり。また、至誠心のなかには、「かように悪をこのまんひとには、つつしみてとおざかれ、ちか 紙面画像を印刷 前のページ p689 次のページ 初版p561・562へ このページの先頭に戻る