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- ゴシック
- 明朝
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(一三) くだらせたまいてのち、なにごとかそうろうらん。この源藤四郎殿におもわざるにあいまいらせてそうろう。便のうれしさにもうしそうろう。そののちなにごとかそうろう。念仏のうったえのこと、しずまりてそうろうよし、かたがたよりうけたまわりそうらえば、うれしゅうこそそうらえ。いまは、よくよく念仏もひろまりそうらわんずらんと、よろこびいりてそうろう。
これにつけても、御身の料は、いまさだまらせたまいたり。念仏を御こころにいれてつねにもうして、念仏そしらんひとびと、この世、のちの世までのことを、いのりあわせたまうべくそうろう。御身どもの料は、御念仏は、いまはなにかは、せさせたまうべき。ただ、ひごうだる世のひとびとをいのり、弥陀の御ちかいにいれとおぼしめしあわば、仏の御恩を報じまいらせたまうになりそうろうべし。よくよく御こころにいれてもうしあわせたまうべくそうろう。聖人(法然)の二十五日の御念仏も、詮ずるところは、かようの邪見のものをたすけん料にこそ、もうしあわせたまえと、もうすことにてそうらえば、よくよく、念仏そしらんひとを、たすかれとおぼしめして、念仏しあわせたまうべくそうろう。また、なにごとも度々、便にはもうしそうらいき。源藤四郎殿の便に、うれしゅうてもうしそうろう。あなかしこ、あなかしこ。
入西御坊のかたへも、もうしとうそうらえども、おなじことなれば、このようをつたえたまうべくそうろう。あなかしこ、あなかしこ。
性信の御坊へ 親鸞
